琉球朝顔

創立者より

琉球朝顔
琉球朝顔

自宅の庭の片隅にある、ささやかな鉢から朝顔の蔓が伸びている。
眼で追うと軒を越えて花が四つ咲いていた。
冬を前にして未だに花を付けている。
この朝顔は去年の夏と、今年と冬を越して伸びて咲いている。
果て?一年草ではなかったかと思った。
枯れているような蔓を見ていたら、ふと、ある方を思い出した。
その方は まさに『翁』だった。
私が小学生初級の頃、翁の研究室というか書斎に私は居た。
当時、命と金の交換(日本鋼管)と囁かれた高炉の煤煙の街、
街路樹も育たない横浜鶴見の家から
鬱そうと草木の満ちた翁のご自宅に私は母に連れていかれた。
そこは練馬の大泉。
長い間、芦花公園の一隅と思い込んでいたが、、、、間違いだった。
何せ遠い田舎の印象が強かった。
理由も今や聞くすべもないし
翁が私に何を話してくれたのかも
記憶の外になってしまった。
ただ翁の指先、
草をデッサンする動きに驚いた記憶はあざやかにある。
『翁』、牧野富太郎博士(植物学者)は1957年に他界された。
大学者に声をかけられた機会があったにもかかわらず、
私は植物に目もくれず、アスファルトとコンクリートジャングルに生きた。
これぞシティボーイだと標榜して来た。
翁にお会いして60有余年、
見ることをしなかった草木や花が見えるようになってきた。
何処かで花咲くこともあろうと呟く昨今だ。