チャンピオンは只一人

創立者より

1977年、王貞治選手は756本の本塁打を記録し世界の王!と
野球フアンに限らず偉業に世間を明るくしていた。
その頃、横浜港はコンテナ船が少なく貨物船が来港していたから
陸(オカ)に上がって港街を楽しむ船員がいた。
その船員達の中にハマに寄港のおりに定期的に訪ねてくる
ポピと名乗った船員がいた。
ポピはスペインの国境から70㎞フランスに入った村に住んでいると、
村の絵図を書いて説明してくれた。
村の入り口の大きな糸杉が印象的だった。
スペイン市民戦争の折、一家を挙げて
フランスに避難したと、一家の歴史を語ってくれた。
何回目かの来訪の折りに、彼をオリヂナルジョーズに誘った。
1953年開店のハマで一番古いイタリア料理店で
ピザを食っていたポピが
ママのピザとは違うと言い出した。
フランス語、スペイン語と日本語
そして片言の英語での遣り取りだった。
彼のママのピザは具がほとんどチーズで、
トマトが偶にトッピングされているくらいなので
具の多いピザに驚いたらしい。
私は「世界一の王選手」を知っているかと彼に問うた。
彼は言下に「オー、ノー」と答え、
タカズミは知っている、
タカズミは村の小さな子まで知っているヒーローだ!!
私は驚いた。
「世界」が違うのだ。
我々の「世界」は欧州の入って居ない世界、
要するに米国だけが「世界」だったのだ。
今は「国際社会」と表現されてこれには欧州と米国を表現する
マスコミ用語になっている。
当時、単車に関わるニュースは全く無かったのだ。
タカズミは「モトライダー10月号」の表紙になった。
フランス人船員ピコの村でのヒーロー、タカズミは
片山敬済ライダーだった。
2009年11月27日逗子文化プラザホールで声を掛けられた。
チャンピオンからだった。
時経て沢山のチャンピオンがこの世に排出したが
我々の単車乗り倶楽部ではチャンピオンは只一人、
片山敬済その人だけである。