醤油とキング・ケニー

創立者より

四国徳島出身の方から香川の醤油を分けて頂いた。
地域、地域にあった醤油醸造所が消え、残ったのが徳島の県境近くにある蔵元の産とのこと。
宮城県スポーツランドSUGOがオープンしたのは1975年、
当時「箱根以西は鬼が住む」と西に駒を進めることが少なかった我々は東北を目指したことが多く
菅生が格好の目的地になった。
1978年10月に500CCクラスの世界チャンピオン ケニー・ロバーツが奔るということで走行を拝見に行った。
それから10月は毎年キングを見に行ったのだが 残念ながらキングにとってはシーズンオフ、エキビジション
に過ぎなかった。
キングは直ぐリタイヤしてしまう。
目当てが奔らないなら私も観戦放棄、ホテルくぬぎ山荘(2005年閉鎖)のバーに移動と相成った。
キングらしき男が女性と戯れているのを目撃した私は連れのイジー・ホールに
「キングよ、今少し真面目に奔りを見せてくれ。横浜から君を見に来ているのだよ」と通訳を命じた。
ところが
EGは「横浜のクラブ・ケンタウロスです。ボスがお会いできて光栄と申しております」と伝えやがった。
彼にはキングは憧れのレーサーだったのだそうだ。
道理で日常では見かけないEGの緊張の姿を見て微笑ましかったのを思い出した。
チラッとキングを確認したら秋刀魚を食いに今少し北上することにした。
気仙沼で出会ったのが秋刀魚の刺身。
今では全国いや世界各地何処でも賞味出来るものだが
現在それが可能になったのは冷凍技術と輸送手段進歩のおかげだ。
秋刀魚の刺身はアスフアルトジャングル育ちの私としては
見知らぬ食い方だった。
何年か経って
浜の長者橋に在った小料理「平作」で鮪赤身の刺身を頂いたとき思いついた。
醤油を各種集めてもらった。
七種類の醤油が当時でも直ぐに集まった。
それを七枚の真っ白な小皿に取り分けて皆と刺身を味わった。
合ったり前のことだが味覚が発達しているとはいえない私にも各々の差違が明確だった。
気仙沼の秋刀魚の刺身は新鮮さと地酒ならぬ、地醤油の力でもあったと知った。
香川の醤油はどうのように賞味しますか?
彼女は答えてくれた。
「温かいご飯に一滴!」
今、私は醤油ご飯に嵌っている。
そしてキング・ケニーを想う。