熨斗紙に興志と記載された祝い酒が10月19日に110に届いた。
8月2日、これから入院させますとの一行の知らせが入ったが
以降、音沙汰が無かった。
やきもきしたが
私は問い合わせをすることをためらっていた。
苦しみ、憤り、恐れ、不安、絶望が集中している災害地が
興志が生を受けた地だったから。
3月11日、未だ興志は母胎に育まれていた。
災害発生直後、
私からの命を受けたレッドが家族の生存を確かめてくれていた。
「興志は、臍の緒が首に巻き付いたままこの世に登場したため長期の入院を余儀なくされ、
大将に誕生の知らせが遅れました。」と父親である剣菱の話だった。
たくさんの命が失われた後、時代を継ぐ新しい命が誕生する。
剣菱によると興志と共に新生児が当地で多く生まれているそうな。
まさに生命潮流といえる。
剣菱は言葉少ない男だが
家族を護るだけで無く親類、縁者、地域の被災者の人々に
力の限り援助に尽くしていることを感じ取られた。
彼は疲労で半身が痺れ、単車にて参上叶わぬ事を恥じていた。
自動車教習所に単車の受講生が増えているとも話してくれた。
今まで我慢していた人々が明日をも知れぬ現実に出会って
押さえていた思いが堰を切ったのだろうと。
ニュースでは車の移動での移動が表現されているが
実際は単車、特に原付での走行が一番と見直されている。
社会のシステムと大地が安定していないと
我々は奔れない。
まさかの時の用意にカブ、メイトだ。
『興志』の倶楽部ハウス参加を歓迎する。
我らの希望の星だ。