赤銅色のがっちりした体躯に
下し立てのスーツを着こなした「漢」が登場した。
出合う前から語られていた宮城県石巻市の漁師「白い安藤」が、その『漢』だ。
彼は「鼻の穴まで大津波が迫ったが、生き残った。」と、淡々と語りだした。
全て掠らわれた3月11日から
ジャージ(上下)3着とゴム長で暮らしていた日々に、
慶應義塾大学文学部の学生諸君に対する講演依頼が、文学部部長から届いた。
講演を受けるに当たって
ジャージと長靴、漁師の仕事着で上京するつもりでいた。
それしか着る物が無かったから。
浜の仲間達、桟橋設営の仲間達が漁師の制服ではあんまりだ、
我らの代表でもあることだしと、
資金を持ち寄りこのスーツ姿が出上がった次第を話した。
この時ばかりは彼は照れていた。
彼を横浜に案内をしてくれたのは荻野アンナ慶応大学文学部教授。
白い安藤さんは教授の著作『大震災 欲と仁義』を
たまたま立ち読みをしたおり
現場の状況が克明にルポされていたのに驚き
この著者ならばと
恐る恐る連絡を取らして頂いたところ、
すぐさま駆けつけてくれ、教授の勤務先の上司さんも共に石巻にいらして
今回の講演依頼を受けるに至った由。
白い安藤さんは語った。
行政の動きに待ちきれず、
仲間達と小網倉浜に桟橋の設営に至った。
行政の動きは日常の中でゆっくり機能する。
非常時の対応性は 当然皆無、作業要項にないのだ。
小網倉浜設営の安藤さんと仲間達は
行政の無能に怒ったり抗議を繰り返して時を無駄にしなかった。
取り敢えず働き出した。
行政の組織はともかく組織を構成するのも人、
結局彼らと何らかの知り合いだし共に被災者仲間なのだ。
彼らの(役目がら表向きは非なのだが)思いも集めて
仁と義が人々を駆り立て桟橋を出現させたのだろう。
一時も死者を忘れていない、
「頭のここにへばりついている。」と
自分の頭を叩いていた。
そして更にきついのは
生き残った者達に平時には窺い知れない本性を
現す者が出てくる。
そのことを知ってしまう、これこそ地獄です。
欲に駆られた者を『黒いアンドウさん』と、
荻野アンナさんとケンタウロス救援活動事務局は名付けていた。
白い安藤さんは、ご自分の自宅があった目前の浜に桟橋を作らなかった。
その理由を質問した。
黒いアンドウさんが
「何時の日か気づいてくれるのでは、、、」と微かな期待を呟くような答えがかえってきた。
白い安藤さんは善悪、好き嫌いで
黒いアンドウさんを排除していなかった。
今生きている我々の社会は、差別の時代から一歩踏み込んで
排除が罷り通って来ている。
錦の御旗は安全神話と健康神話そして効率神話だろう。
地震と津波はこれらの御旗を根刮ぎ破壊した。
生き残った人間の存在の力合わせが一番。
それには寛容が必要なのだと、漁師は態度で表明していた。
彼は『漢』だ!