体力落ちるも、ツキ落ちず

創立者より

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恒例の夏の集会が、好天に恵まれつつ終了した。
今回の会場は「野島公園」。
何十年も掛けて横浜の水辺での開催に漕ぎ着けた。
実行にあたった、担当諸君の努力に感謝する次第だ。
これも野島町内皆様の、万全といえる応援があってこそ、
行うことが出来たのは言うまでもない。
どちらかというと社会の爪弾きと、
目の敵にされてきた我々単車乗りの集まりだ。
横浜市内での開催が危ぶまれ、難しい課題だった。
過去開催地に選ばれたシンボルタワーも海際だったが
しかし水辺には限りなく遠かった。
それは立派な防波堤があったから・・・
野外訓練、これがサマーパティーの目的。
個人主義で徹底的に教育されてきた我々は団体行為が苦手になる。
まして単車乗り、我が我がの男達だ。
力合わせで事を成すことが苦手中の苦手な連中と来ている。
企画から準備、設営し運営を手分けして自分達が行う。
重要なことは実行委員に参加した者全員、会費を納めて任に就くこと。
シンドイ、割に合わん。
任に就くと「任に付けた事を慶べ」と私の訓示を受ける。
是を標語にした。
『社会の常識、ケンタウロスの非常識。ケンタウロスの常識、社会の非常識』
世が速さと、効率を優先し
それに個人主義が行きすぎて
狡い輩に溢れる状況を想定した。
ささやかだが、そうした状況に抵抗する男達もいても良いのではと考えたのだが
時代の風向きに抗しがたく つけ込む輩の多いのが現状だろう。
残念だがしかし折れず今年も実行出来た。
淡々と続けていくと定点観測になる。
一本の細い糸が、2本増え3本になり、7本と縒り合わさり太くなる。
そして、紐の体裁から時経て帯に織り込まれていく。
集った人達の痕跡が、そこに残る。
殆どの単車乗りは、青春時にお多福風邪を引いたようなもの。
多くが、単車乗りたい熱病に掛かってしまう時代があった。
熱が下がると、多くの人は単車から降りてゆく。
病から回復したわけだ。
単車倶楽部に集まる人達は、単車に乗る少ない人々の中でまた少数派。
出来ては潰れる泡のように、単車倶楽部も又消えてゆく。
永すぎて、皆の迷惑ケンタウロスと私は言っている。
一時の情熱が冷めた頃になると、不平不満に心満たされる男が出てくる。
自らの青春の情熱を認めてくれない、
または折角の企画を無視されたと恨む者。
あの程度のボスならば、俺だってと焼き餅を焼く者。
包装紙が、己自身の価値を高めないと不平を持つ。
中身の価値があってこそ、包装紙も生きるものなのだが
困ったもんだ。
揺らぎ始め 己の背に唾を吐いて(難しい動作だが)
ブレブレにぶれて、所謂看板倒れが起こる。
問題は己なのに敵を探し回る。
次には、
同じ匂いの者を見つけ、徒党を組む。
個より己に合った集の中が安心できる。
いやはや何処にでも転がっている大衆の話だ。
2013年度は、私は特に楽しめた。
参加者の多くは私の衰えを確認に来たようだ。
その中に極めつけがピンクのビッグサイズ。
体格のデカさを頼りに
威圧、恐喝擬きの言を私に吐いた。
目の前の大人子供の扱いを久し振りに楽しんだ。
この坊やを連れてきた連中の頭は、
対面を待つ人用の本部席に、収まって推移を待っていた。
その成長しない男は、
たわいのない器物破損を、毎回起こすことによってしか、
存在をアピールするしか術を知らないのだろう。
酒飲んでいたので記憶がないと、古風な言い訳に終始する。
自分の尻をふけねぇ男だ。
威圧者を下がらせた後、
踏ん反り返っているサングラスの族員を一括した。
男が真似している先輩達も迷惑だろうて。
そうかと思えば、
今回もキラリと光る大人が何人も再登場してききた。
かって彼らも若かった。
大人子供の中だからこそ輝きが縒り引き立つ。
暗があるから明が引き立つのだろう。
彼らは広い世界で挑戦し続けてきたのだ。
挨拶をするかつての少年は、清明な大人になっていた。
こうした機会に出会うと、
やってよかった、続けてよかったと、
心満たされる一時だ。
年々子供達の参加が増えて、その子達は歳を重ねて来ている。
本物の坊やに会えるのは、愉しいことだ。
ふと親のツラを見て、この子供はどのように育つのか想像する。
思いが明日に繋がる。
先に旅だった男達とその遺族の思いを受け取っている。
それは継続の意志になっている。
単車倶楽部の解散は仲間の事故によって起きるのが通例だ。
我々もそうした事例が起きた時があった。
写真集制作過程に仲間の事故が起きた。
大勢は明日に予定されていた撮影を、
中止し喪に服すべきだと主張した。
流行の多数決原理では大勢の常識が罷り通る、
それは、社会の常識そのものだ。
多数を背に主張の急先鋒である担当ディレクターに私は問うた。
何時まで喪に服すのか、明日だけか、3日か、1週間か、一月か。
喪の期間単車を我々は降りるのか。
多数を背に私に詰め寄る者に、私はたたみ掛けた。
返事は無かった。
奔りきれなかった、かもろくの意志を継ぐのだ。
撮影を予定通り続行!
葬儀も執り行う。
かもろくの母上つな子さんの、
同意を頂いて事を実行したのは、言うまでもない。
社会の非常識だがケンタウロスの常識になった。
写真集は刊行された。
精一杯悪を装い、肩を怒らした若者達の映像に、
かもろくの葬儀に集う群像がこの写真集の深みをもたらした。
死してかもろくは主人公になった。
族員の病死で旅立った者には、ごく親しい友人等が列席する。
当然のことだ。
家族の同意、家族の列席者が参列されていない、
喪主不明の忍ぶ会開催は胡散臭い。
この時代だ。
伝えやすい方法を使って人を集めやすい。
票集めの材料にされたり、同窓会擬きの只の飲み会が目的だったり、
最悪の場合は、香典詐欺の片棒を担ぐことに成り兼ねない。
よくよく故人と己の関係性を思い起こし、忍ぶことこそ弔いになる。
生者達が集うサマーパティーにおいても、
先に旅立った仲間達を想う。
私は忘れない。
野外訓練は、回を重ねる事に完成度が上がっている。
其処での全ては伝承されている。
能力ある個がそれぞれの力を集結して、運営がされるのだから当たり前だ。
もっともっとと欲を出し、
完成度を高めて欲しいと、冷酷にも私は檄を飛ばす。
今回、野島の古老(漁師の皆さん)、
野島稲荷神社御霊を守る世話人の皆さんから、
お褒めの言葉を頂いた。
それも町内の自動販売機を蹴っている輩がいたことを、
承知の上で評価して頂いた。
道に人影見えずとも家々の中には人が住んでいる。
評価して頂いた長老達は直接集会にはいらしていない。
だが古老諸氏は知っていた
会場と野島住人の暮らす家々は密集している。
誰も見ていないからと、仕出かした悪ガキ行為は、
確りと眼と耳に囲まれている。
〈町は、見ていた〉
参加者全員の力合わせが有ったからこそ、
ガキ行為も眼を瞑ってくれたのだ。