転地

創立者より

松影町から房総に転地して早一年経過した。
「ぼうそう族」が「ぼうそう」にと、
語呂合わせで転地を決めたわけではないが。
横浜に近かったのにも関わらず、千葉を知らなかった。
意識していなければ遠い存在になるものだ。
何もかも知ることは不可能だが、生まれ育った住み慣れた横浜との距離を取って、
ハマを見直す機会にしょうと転地を決めた。
この地、大多喜町筒森に移って、「ようこそ、千葉のチベットへ」と、
或る住人に囁かれ、ここは「地方」だと実感した。
何を隠そう横浜も地方都市、東京ではない。
日本最大の地方都市が横浜なのだが、
それは住民誰一人にも意識されてはいまい。
明治になって横浜(関内)は造られた。
神社仏閣全て移転され、元来の記憶を消される政策が実行されて、
「ペリー提督」が神の坐に据えられたのだ。
筒森は古い古い痕跡が重層的に、蓄積されているのを今感じている。
二つの「地方」から近代日本の成り立ちを学べるだろう。
主治医曰く、「転地療法が成功しています」。
我が意識の転地療法の成果は、今取っ掛かりに辿り着いた。
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