40年弱前の事だ。
涼やかな学生諸君が現れた。戸田の合宿所にいるという。
彼等からボートという競技を私は知ることになった。
時経って彼等は、大学を卒業し郷里に帰ることになった。
ふと、リーダー格の大江甚一を訪ねてみたくなった。
彼は就職していた。
何せ「箱根以西は鬼が住む」何ぞと口にし、
専らツーリング先は、東北地方、信州、長野方面が主だった頃だ。
甚一に、琵琶湖湖畔の某自動車メーカーのボート合宿所で会った。
甚一と部員諸君調理の納豆オムレツを頂いた。
会話無く黙々と喰っている部員に、
私は、「納豆ってこの地で喰うの?」と聞いた。
「好きも嫌いでもなく、部長が身体に良いから・・」と、
主張しているからと彼等は私に返答してくれた。
これは運動部の法だと私は思った。
ボート競技は数々あろうが、エイトと名がある競技が有名だろう。
だだ一人馬力が秀でても真っ直ぐ進めない。
力を合わせてこその競技だ。
ハマに集まる「我こそは、・・・」の一匹狼の単車乗りでなく、
力合わせを熟知しているボートマンで単車倶楽部を作ってみたら、
という思いがボーダラに為った。
それに東が大震災に見舞われた時、西が生き残れば存続可能するとも考えた。
そういうことから私は、
「西の者は東に、東の者は西に」と、かけ声を揚げた。