いまのメンバーに伝えたいこと
俺が看板貰ったのは、1987年の1月2日で、
看板持ちになって今年で33年になる。
何でこんな話をしてるかというと、「看板持ちの中で偉いのは古い看板持ちで、 古ければ古いほど偉いんだ。」 と言ってるメンバーがいるらしいからだ。
何だそれ、吉本か?古いもん好きの骨董の世界か?いや骨董の世界でも古いだけでは価値は決まらない。
そのモノがもってる物語やすばらしさ等々、古さだけでは決められないんだ。
ましてや看板持ちは芸人じゃない、ケンタウロスだ。
古い新しいで偉い偉くないなんて判断はしないし、してたら俺はとっくにここにはいない。
ケンタの中で偉さが決まるとしたら、その人物がどれだけケンタに貢献したか?って事だろう。
古い看板持ちの方々はケンタの先輩であり、我々が後輩として先輩に敬意を持つことは人間として当たり前のこ とだと思う。
しかし、古い看板持ちと言うだけで褒められる様なものではないはず。『 ケンタへの貢献がない、 そんな人物に限って大きな顔をしてやって来る』と、 大将はよく言っていた。そして、
『お前たち、こいつらのこの先をよく見てろ』と。
今年に入ってショップにて「今年のパーティー(行事)の予定は?」とよく聞かれる。「 毎年やってたようなパーティーは今年はできないだろな」 と答えてた。
大将が入院中てのもあるけど、今、巷には新型コロナがあふれてるからだ。
だから俺は今年のパーティーはやって欲しくない。いつどこで自分や自分の大切な人が感染するかわからない状況だ。
そんなコロナ禍の今、多数の人々を集めて酒を出すパーティーを開くのはどう考えてもど うかと思う。
そんなもんをケンタの名前でやって責任取れるのかよ、と。
毎年やってたパーティーができないからってそれがどうした?
それで誰か死ぬってのか?
今はコロナの被害を出さない事、大切な人を守ることが一番だろ。
だいたいパーティーをやる事がケンタの本分じゃ無い。
ケンタウロスは、分別のわかる大人の集まりである、と俺は思ってる。
群れる事を嫌う者が多いとも思ってる。
個人プレイが得意な者が多いはずだ。
今こそ個人個人が己の行動をしっかり決断するべきだ。
そして今、改めてケンタウロスとはどうあるべきか問われてる時だと思う。
『二代目を用意した。』との大将の発表が有り、その事について詳しい説明が無いまま大将が倒れ、 今なお一言も大将の声が聴けぬまま1年になる。
皆がこの先どうなるのかわからない事だらけのはずだ。
今はっきり言える事は、大将が二代目を用意したと発表した事実だ。
大将が族長であるのも永遠では無いのだ。
人間である限りいつかは終わる。それは間違いない。
そして変化は望まなくてもやって来る。大将がいないケンタウロスなんて認めないとか、
色々な声や動きも一部では有るらしい?が。
色んな人がいるケンタウロス。色んな意見が有っても結構だが、これも大将が決めた事。
納得できない者はさっさとケンタウロスをやめればいい。
簡単な事だ。
手元に有る看板は切り刻んでゴミ箱にぶち込むなり、火を付けて燃やしちまうなり、 元々の所有者であるケンタウロス本部へ突っ返すなり好きにしてく れ。
注意してほしい点は、その看板は族長から渡された人物以外の手に渡る事を大変嫌うって 事だ。
チョット荒っぽい?話をしてしまったが、これを読んでるあなた、人生掛けてケンタに憧れていた頃もあったんだろ?
だったら、新体制がどうなる?どんな方が族長になったのか?この先ケンタがどう変わっていくのか? どんな集団になろうとしてるのか? それを知ってからでもシュレッダーにぶち込むのは遅く無いんじゃ ね。
それまでは積み木崩しのような(俺も若い頃やってた)恥ずかしいマネはやめとけよ。
そんなことやってると、思いも掛けない者に足元すくわれるぞ。
磯野兆治