山口の兆司

夜坐蔵からのお知らせ

まだ、山口県の実家に住んでた頃のは、83年、84年、85年と、1年に3回ずつ、横浜に顔を出してて、横浜では、山口の兆司と呼ばれていた。

86年頃の、実家の庭先での事だ。
田舎の家に届いた郵便を、親父が手にして、顔を傾けて眺めてた。
「よく届いたな。」
そう言うと、
眺めてたその封筒を、近くにいた俺に手渡し家の中に入っていった。
その封筒は、黄土色で
厚手の見慣れた封筒で、いつもの送り主のスタンプが、いつもの所に押してあった。
「ケンタから俺にだ。親父は何を言ってるんだ。…んんっ、なんだ?」
よく見ると、俺の氏名があるはずの所に、『山口丁治
』と、名?が。
当時の俺の名は『安部兆司』で、4文字中1文字も合って無い。
まぁ、住所は合ってたし、これは、あの放蕩息子だろと、田舎の郵便配達員は気を利かせて、置いてってくれたんだろなと、感謝した。
のどかな時代だった。


写真は、86年の物ですが、山口丁治で届いたものではありません。


先月は、ツーリングを行うことが出来ました。
今月11月も、我々は催し事を企画していて、2021年度の会員の方と、点呼票を返送して頂いた、族員の方々に向けて、案内DMを発送しました。
郵便はがきでです。

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