創立者から
時の経つのは早い。昭和に生まれ、平成を過ぎて令和か
ケンタウロスもついこの間50周年と思ったらもう55周年を迎える
だがこの5年は俺にとっては大きな転機を成す年だった。
俺はあの世に行きかけた。そうその時、「使命をもって生まれてきた人。その使命を全うするまで生かして欲しい」そう願い出た者がいた。循環器の宿直担当医は大いに驚いたそうだ。そんな理由は未だに聞いたことが無いと…。
その事があったからというわけではないが、ケンタウロスをこの先どうするかということを強く考える様になった。ケンタウロスというチームは俺が死んだら解散して終わりにしようとも考えていた。しかし、常識はずれの立派な男と女が一堂に集えるケンタウロスだ。俺の亡き後、好き嫌いの小さな集まりをあちらこちらで行うようなみじめな事もさせたくない。そう、このケンタウロスにはまだまだ魅力ある人間が多くいることを世間に広め、少しは社会のためになるよう次の世代に引き継ぐことに決めたのだ。
知るか知らぬかケンタウロスというチームは族員に階級があるわけでも上下関係があるわけでもない。昨日看板背負った奴も、何十年も前に背負った奴も、男も女も、年齢も職業も関係無い。古参などという言葉はそもそもケンタウロスのメンバーの中には存在しない。古いメンバーほど知っている話だ。多様性を尊重できるチームの存在こそが唯一無二のケンタウロスの魅力だと言える。その中で1人だけ特別な存在として族長がいるわけだ。これだけ個性的な奴らが集まってバラバラの考え方持っている者たちであっても、同じ看板を背負って同じ目的地に動いて行けるのは族長の言葉を支え、絶対服従するという唯一のルールに従ってきたからに他ならない。このルールが守れない奴は簡単な事だ、ケンタウロスという看板を脱げば良い。
「変わらない、変わらせない」を口癖に走ったケンタウロスだが、時の流れって奴は容赦無い。昔なら風の様にすっ飛んで行くケンタの看板は記憶に焼き付けられ語られるだけだったが、今の時代は誰とも知らん奴に映像を残され、あっと言う間にSNSで拡散され世界中の晒し者にされてしまう。昔のようにおちおちアクセルも開けられたもんじゃ無い。しかしだ、ケンタウロスは速さだけを求めて来たクラブでは無い。面白い人間の集まりだから無意味に近い限界への挑戦をしていただけかも知れん。
これからのケンタウロスは時代の流れに逆らいながらも二代目の元で変わっていくだろう。
そしてそれに賛同する奴が残り、賛同する奴が新たに看板背負って行く事になるだろう。
それでもケンタウロスというチームは生き続け、変わった男や女がいつもと同じく集まるのを見させてもらう。
二代目への継承は族員全てへの俺からのはなむけだと思え。
あらためて皆に申す、
チャーリーへMCケンタウロス二代目を継承する