ケンタウロスの伝説

1964年 神奈川県の港町、横浜のかた片隅で初代ボスに賛同した数名のバイク乗りで結成されたモーターサイクルクラブ。その圧倒的な走りに魅せられ、地元では多くのバイク乗りの注目を浴びたが、あくまで一部地域で目立つ存在だった。しかしその後、1981年の週刊プレイボーイに実際のメンバーが登場人物となった漫画「ケンタウロスの伝説」が連載。1985年には劇場用アニメ化され、その名は一気に全国まで広がり現代に至る。
クラブ創立以来55年を経た現在、ケンタウロスの刺繍マークの入った“看板”を背負うメンバーは、日本国内は元より世界各国にまで及び、その職業もありとあらゆる職種に及ぶ。しかしこのケンタウロスのメンバーの数、氏名、職業含め、メンバーの条件などについては『掟』により他言されていない為事実を知るのはBOSSのみである。
多くの注目を浴びてきた割にはその活動内容があまり知られていない事と、メンバーの秘匿性が相まって、閉鎖的なクラブと思われがちだが、横浜市松影町と千葉県大多喜町にあるクラブハウスにはショップも併設され、営業日には誰でも自由に利用する事が出来る。また、定期的に開催されるイベントには誰でも自由に参加可能でメンバーとの交流を深める事も可能だ。そしてクラブとしてのケンタウロスも、その門は常に開かれており、老若男女を問わず新たなるメンバーを受け入れている。しかし、その門をくぐる条件もまた『掟』により知るのはBOSSのみである。
全国的に有名になった時代は、袖を切ったベストにオートバイクラブのマークが入った「看板」が流行った時代でもあった。そのような時代の中、アメリカの極悪バイククラブ「Hells Angels」が、自分達の真似をするのは許さないと世界規模で看板狩りを行った。その使者がケンタウロスにも訪れたが、BOSSとの対談後「お前達は狂っている」との言葉と「1%」のワッペンを残し去って行ったというエピソードは、当日地元紙にも取り上げられ、その時のワッペンは今でも初代ボスのベストに貼り付けられている。また一方、大手バイクメーカーが市販予定のバイクを一般道での耐久テストのためケンタウロスに持ち込み、メンバーが僅か数日で一万キロを走らせ、バイクメーカーへデータを提供したエピソードも有名だ。
600マイルブレンドというエピソードも、横浜神戸をコーヒー1杯のために走って往復するという実話が元である。現実の活動内容は一般に公開されていない為、現在でもあまり知られていないが、今でもメンバーの間で語り継がれる数々の「伝説」そのもの全てが実話である。
2018年、初代BOSSが引退し、二代目がその全権を委譲され継承した。新たなる「伝説」はこれからもクラブ員と共に刻まれてゆく。