「タコ」と呼んだ男

創立者より

かって「金看板」と呼ばれた
ケンタウロスの整備場が設けられていた時代があった。
本牧通りから本牧桜道に入る角地にそれは存在し
「タコ」が整備長を担当した。
最初、タコは彼の母上と共に現れた。
未だ10代だった。
「こちらで、この子にレースを遣らしてくれないでしょうか。」
「それが許されるならば、如何様にでもこの子を使ってやってください。」
「この子の命預けます。ただ、、、葬式だけは出してやって下さい。」
これが私の記憶にあるタコの母上の口上だ。
タコは代々のケンタウロスメカニックの中で最上の仕事をした。
彼は稼ぎも誰よりも良かった。
『店に利益がないとレースが出来ない。』
この単純な理屈が、タコにはわかっていた。
最初で最後のメカニックがタコといえる。
そしてレース場は当然なことだが、
街奔り、ツーリングも疎かにしなかった。
前輪で停止し、後輪を上げて止まる。
名付けて『スタンジング ジャックナイフ』で
当時のミスターバイクを賑わしたのは彼である。
レースは
「日常の単車で遊ぶ延長にある。」という
私の指示を彼は体現していた。
レース、オフの時期、
『冬を歩く』という企画を彼は立てた。
例えば、横浜から直江津まで10日かけて歩き、
夏には、単車で同じルートを走るという企みだった。
東北の確か白神山地だったと思うが
彼は大樹に抱きついたそうな。
樹皮に耳を付けると
「大樹が水を吸い上げる音が聞こえるのです。」と
目を輝かせて語ってくれたのを、私は忘れていない。
月日流れて 私はタコを世に出す決心をした。
経営上、大打撃になるのは必定極まりない。
それよりも何よりも彼の行く末を考えた。
より広い世界に<旅に出す>ことが、
タコの人生に必要なのだと、
私自らの心に言い聞かせ、
彼なら背中の『看板』に
恥じない働きが出来ると信じた。
先月8月末の土曜日、
「大将はyouTubeを見てくれているかな?」
と、ショップ108に連絡が入ったと知らされた。
連絡を受けた方はいわゆるアナログ、連絡者もアナログ。
H2HIROだけのメモがあった。
私も同じような能力だが探してみた。
youTubeを開いて
米国オハイオ州johnnysvintage作成の映像
貫禄が出たが変わらぬ何時ものタコの姿があった。
そうだ、付け加えなければならない。
彼は本牧で姓名判断により、名を改めたと云っていた。
「タカユキでは出世しない。」と、ヒロユキに改名と云うわけだ。
今彼は「HILO ITO」と呼ばれる男だ。