2011-Milano-Taranto

創立者より

20年振りにケンタウロスが参加するレースは ミラノからターラントまで公道を奔るラリー。
かってはスピードレースだったそうだが
沿道の応援観客を巻き込む死亡事故を起こし 中止を余儀なくされていた。
25年前にラリー形式で再開され 本年は25周年記念の祝いの開催ということで
我々はエントリーすることによって 主催者サバティーニ会長に
今回 祝意を表すことと成った。
先人から遊びを学ぼうとイタリア・ペルージャに
ケンタウロス・イタリア支部開設になったのは1980年代後半。
なぜペルージャかというと 支部長と選んだ洋二がイタリアの何処にと問うてきたおり
場所決めにイタリア地図に投げ矢をし たまたま刺さった場所だったのだ。
主催者サバティーニ会長一家がお住まいだったのが ペルージャー、となれば
互いが知り合うのは当然の成り行きになる。
われわれの支部長はペルージャーのヨウジと呼ばれていたが
後年、街のサッカーチームに球蹴りの上手な同胞が参加してきて
ペルージャーの名が日本にも知られるようになった頃に
支部は閉じられた。
ケンタウロスという読み方はイタリアには無い。
センタウロスという。
ギリシャの神々はイタリアの言葉に置き換えられるからだ。
1991年にミラノ・ターラントレースをケンタウロスが手伝ったのは
名とマークをイタリアの単車乗りに知ってもらう為だった。
レースが終わってヨウジに私は問うた。
ホンダ、ヤマハ、カワサキ、スズキは売り物がある。
我らは売り物を持っていない、何か変化があったか?
かれの返事は
ハイ、ローマ空港の出入りが楽になりました。
???
どうやら
我々の看板が不審者リストだったらしく点検が手間どって
永かったらしい。
イタリア支部の核になるべき族員ヨウジは2003年に旅立った。
2002年、兄弟ともいえる族員五味均が
心臓麻痺で旅立って10ヶ月後だった。
五味はこのレースに2回、参加している。
今回記録担当として参加しているタカは
ヨウジの旅立ちのツーリングに参加していた。
先に旅立った二人の行跡は 彼らだけの力だけでなく
協力した族員達の思いの力でもある。
時経て今は大人の単車乗り達が多い。
そうした単車乗りが単車を通じてイタリアを知り、楽しむ。
同好の士、それも世界中から参加してくる
ミラノ・ターラントレースは
イタリアを南北1800キロの課程があるので
その間に親好を深めることが出来るかもしれない。
我々は手伝えるのではないかと考えている。
単車乗りは遠乗りで友達を選ぶことが多い。