YAMAHA VMAXのマークドール

創立者より

VMAXのマークが旅立ったとの知らせを受けとった。
クレイジーアーサーから転送してきた
マークの奥さんからのメールで知った。
2012年10月1日に奥さんの腕の中でマークは逝ったとのことだ。
***
八十年代後半のある日、ドイツ人と思われる精悍な青年が登場した。
勝負したいとの申し出が有った。
「何処の国の人?」
「オランダ」
「何故の勝負?」
千葉、幕張の会社から帰宅途中に出会う数々の単車乗りと勝負してきた。
単車屋さんにも立ち寄って集まっている単車乗りとも競争してきた。
蒲田の店でそんなに勝負したければと勧められたので参上したとのこと。
「君の単車は何?」
「VMAX!!」
「勝負するなら同じ車種の方がいいだろう。
コースと約束事は挑戦する君に任せる。
立会人は当方の者で良いかな」
倶楽部に居た者に私の鍵を渡し道場破りの挑戦を受けるよう指示した。
単車乗りは腕自慢が多いせいか挑戦者が引きも切らない。
日常的にそれを受ける当方は「道場破り」と括っていた。
ことが済んで彼らの負けた言い訳を聞くのが常だった。
単車の調子が、体調が悪かった等々、自らが仕掛けてきのだから
準備を整えて挑戦してくるのが常識だろうに、、、、
大げさになるが我らの共同体の行く末に暗雲を感じるに充分だった。
マークは違っていた。
勝負の後、攻撃的な態度は失せ 敬意をあらわす青年になっていた。
充分に戦って納得したのだろう、泣き言一切なし、
勝者に対する尊敬の気持ちが率直にでていた。
それからVMAXのマークと冠がつく名で呼ばれることになった。
***
当時彼はBMWの社長秘書だったが愛車は言わずもがなVMAX。
そのうちにシンガポールから連絡あって勤務先が変わってフォルクスワーゲン。
最近はフックスジャパンの社長。
その会社何屋と尋ねたら潤滑剤メーカーと答えが返ってきた。
息子を単車に乗せて倶楽部に来た。
クアラルンプールで高校生活をさせるとのことだった。
マークはオランダ人、さすがは時代の読みがある。
息子を回教徒の多い地域で学ばせるのはビジネスマンとして
考えた上のことだろうと理解した。
ここ一年以上、VMAXのマークの姿を見なかった。
エジンバラの大学院は終わった筈、中国或いは
ヨーロッパと飛び回って居るのだろう。
まさか福島の原発事故で恐れおののく男では無いはずだが、、、
五〇才で引退する。
オーストラリアで一年中VMAXを乗るから私を招待して共に奔ろうという。
で我々はマッドマクスになるのかと会話したことがあった。
1965年生まれの彼は五〇才に成らずして癌で倒れた。
この知らせを受けても
ひょっこり現れるのではとの思いが私には強い。
***
Marck M.G Doellよ。私は忘れない。
また何時の日か何処ぞで会おうぜ!