ふらりと

創立者より

ふらりとK・S(筆頭幹部の一人)が110にやって来た。
(「父は体調を崩して入院してます。」と彼の息子から伝え聞いていたが、)
愛犬と共に海外に住むと云うことで
別れの挨拶をしに来てくれたのだ。
彼とは長い付き合いだ。
特殊な稼業ゆえ
仲間が彼を知る機会は無いに等しかったが
折り目を外すことなく全くぶれなかった。
義にあついのだ。
慰めの言葉が似合わない男がいるが
その中で最たる者がK・Sだ。
かける言葉無く、逡巡し
見舞いは遠慮せざるを得なかった。
ふらりと
当方の気遣いに彼は答えるかのように
『旅立ち』を告げに来た。
その姿は見知っていた肉体ではなかったが
しかし
一見して弱り果てたと見える肉体を越えて
どこまでも男らしかった。
格好いいのだ。
昔の、、、そう、
横浜に市電が走っている頃の情景を思い出した。
尾上町交差点で走り去る
単車乗りの後ろ姿を一瞬見た。
単車乗りの女性が殆ど存在しなかった時代だ。
髪の毛を棚引かせて走り去る後ろ姿は女性だった。
その時我々は単車乗りではなかった。
目で追いかけるしか術が無い。
後年、彼女の消息がK・Sの話で判った。
横須賀に向かう16号線で女の乗り手が競ってきた。
当然鍔競り合いになった挙げ句
相手が戦車を積んだトレーラーに突っ込んでしまった。
単車乗りは事故をよく話題にする。
これは事故の結果に現れる残酷を楽しんでいるのではない。
シミュレーションを繰り返して事故を避ける為なのだ。
私はK・Sに尋ねた。
「その相手は死んだか?」
「死んだ。CL72の女だった。」
「ひょっとしてその娘、髪の毛長かったか?」
「長かった。」
我々は 幻を追いかけていたわけだ。
彼女は後年『RZのマリア』として劇画に蘇る事になる。
武者が立ち会いの折、
我こそは、、、、と来歴、武勲の数々を互いに並べ立ててから
一騎打ちが始まる。
単車乗りも似たような挨拶をしていた。
横須賀はベトナム戦争で騒がしくなり始めた時代の話しだ。
あの時代平均給料が1万円、実質5千円位の時に
CL72は20万円弱。
クレジットは無かった。
単車は高価な乗り物だった。
その時のK・Sの単車は何だったのか、、、、
彼にはBMWが似合う。
思えばK・Sとハーレーの組み合わせの記憶が
私に全く無い