族員から族員へ

創立者より

宮城県登米市在住の族員がいる。
彼と家族の生存が確認出来た。
今回の震災で弟を失いながら地域の救援活動をおこなっている。
我々は彼と仲間達の活動に協力することにした。
ささやかで大向こう受けの動きでないのは確かだろうが
身の丈に合っている。
はやって駆けつけたい思いに駆られた者も多数いる。
先の阪神大震災は、今回と比べれば災害地域が限定していた。
今回は被災地に行き着いたとしても動きも取れず
引き返すことも不可能な状況だった。
海水と泥の中では単車は動きが取れないのは必定だ。
幸いにも仲間内に二次災害を起こさずに済んだ。
先ずは
駆けつける費用があればガソリン代として送るのだ。
仕事合間の一日二日の滞在では「自己宣伝」に過ぎない。
生き残り支え合ってその地で生活を復興させようとしている人達を
我々は手伝おう。
<横浜本部より>
   ■宮崎から初荷が発送された。
   ■活動の燃料費の足しにと倶楽部費から振り込みが行われた。
 
偶々、災害当日の11日
北見市(仙台飛行場がある)休日夜間救急センターに出向していた者(Dr.)から
報告が届いた。
怪我人が運び込まれ戦場のようだったと。
・・・(彼は白衣に着替える間がなかったのか)
ジャケットの胸のケンタウロスマークを呉れ!とせがむ
負傷者がいたそうだ。
60歳くらいの年頃でお守りになる!と彼は言い続ける。
予備のTシャツ持参を思い出し、
ツーリングバックから取り出し渡したところ
その負傷者はTシャツを握りしめ
これをお守りに生きて必ず横浜に挨拶に
再度、行くと目を輝かせていたという報告だった。
許可無くTシャツを贈ってしまった事後承諾をと
報告者(族名:Dr.レッド)が言う。
負傷者は片足が潰れてその場で切断したことも私は知った。
その報告に私は身を只したものだ。