人来たりて去る(その一)

創立者より

火野正平「日本縦断こころ旅」を見ていて一人の「七半乗り」を思い出した。
九州にある燈台の映像が記憶の奥に在る人を登場させたのだ。
彼は確か山元町住人。
CB750K0を乗っていた。
手塗りの白いタンクにHONDAのマークが赤く塗装。
彼は山下町のショップに現れてはそこにいる単車乗りを誘っていた。
幾度も幾度も飽きもせず何年もそれは続けられた。
多摩川河川敷の警視庁交通機動隊訓練所で開かれる
一般ライダーの為の講習会に彼は誘っていたのだった。
誰一人、彼と共に講習会に参加を申し出る者はいなかったようだ。
あるとき 七半乗りは『今から日本一周にでます」と伝えにきた。
「この七半で出かけるのか?」
「否、なるたけ海際、砂浜伝いに一周したいからこの原付で動きます」
それから暫くして顔を見た。
「一周回ってきたのかい?」
「この分では3年掛かるでしょう」
その後
彼の赤いホンダが走行しているのを見たと云う人の知らせがあったことを
当時番頭9325454が話してくれた。
間違いなく一周を実行していることがわかった。
携帯電話もインターネットも存在しない時代のことだ。
写真も経費が掛かる代物で今のような安易な映像記録方法はなかった。
時流れて何時ものことでショップ裏店で私はビールを飲んでいた。
そこに彼が訪ねてきた。
「日本一周完了してきました!」
「沖縄もか?」
「ハイ、島々もです」
「なにが一周の目的だったのだ。砂浜伝いに一周したのだろう」
「燈台は海の際に在るんです。だから海伝いに廻って全国の燈台を全部廻ったわけです」
「何故燈台が君の目標になったのか?」
「灯台守になりたかった。でも色盲で試験に落ちたんです。だから日本中の燈台を訪ねようと決めたのです」
「君は灯台守になりたいと思った理由は?」
「映画、木下恵介監督の”喜びも悲しみも幾歳月“を見て燈台守を志したのです」
彼は遠くを見ていた。
何時も店内の照明は暗い所だが
彼の顔は目的を果たした安堵感より
惚けた面に私は感じた。
「オイ、死ぬなよ」
と声を掛けて別れた。
(続く)